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相澤秀禎 サンミュージック会長 カスペ [TV]

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相澤秀禎さんと聞いて、芸能ニュースに疎い私は、はて?

どんな人だったかと正直思い出せなかった。



時が経つのは、早いもので今年5月に亡くなられた

サンミュージック」の創業者、『相澤秀禎さん』享年83歳
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その相澤さんの人生最後の10日間とタイトルにあります

今週のカスペは

独占!昭和芸能界の真実 アイドル発掘王・相澤秀禎~ 泣いて笑った人生最後の10日間~』と題されています。



今回番組で取り上げらるように森田健作、松田聖子、桜田淳子、 酒井法子さんら昭和を代表する大物アイドルを発掘し続けてきた

方でその功績を称えると共に数々のエピソードと秘話が明かされるようで

す。


さて、その【番組内容】ですが…(番組HPから一部引用)


●松田聖子(51)、岡田有希子(享年18)、酒井法子(42)もひとつ屋

 根の下に住まわせた社長宅下宿システムとは。


●“スター誕生”桜田淳子(55)争奪戦の舞台裏。


●岡田有希子、早すぎた死の真相。


●酒井法子の光と影…あのとき相澤がとった行動とは。


●“53人目の男・森田健作(63)”発掘物語とあの笑顔のワケ。


などなど、今まで実現しなかった独占インタビューと秘蔵映像で、

昭和アイドル史の真実を伝えます。


とあり、昭和のトップアイドル達を世に送り出した澤さんならでは

のお話がきけそうです。



~松田聖子「涙の初告白 恩師との最後の会話」~


33年前に相澤の元から羽ばたいた松田聖子は、相澤会長が亡

くなる1週間前の様子を初めて語る!

「相澤会長がお元気になっていただかないと頑張れないので、元

気になってくださいと言いました。そしたら…」


初めて明かされる恩師との最後の会話とは?




~酒井法子「初公開 病床に届けた手紙」~


また、酒井法子が病気と闘う相澤会長に寄せていた手紙も初公開!

手紙には、病床の相澤会長の体調を気遣いながら病状の回復を願

うとともに、あの事件についての心境もつづられていた…。


その全貌も気になるところだ。さらに酒井は今回、芸能界復帰への思

いを番組に告白!


~アイドル発掘王の知られざるエピソード~

さらには、ベッキー(29)が会長室にカメラを招き入れ、生前、仕事をし

ていたままの状態になっている仕事部屋で会長秘話を語り、太川陽介

(54)や都はるみ(65)、牧村三枝子(59)、“飛猿”野村将希(61)も相澤

会長との知られざるエピソードを披露する。


そして、表舞台から消えた“あの元アイドル”も…。
 

この特番を見れば昭和という時代に活躍したアイドルたちの真実を知る

ことができる。


“昭和アイドルの父”と呼ばれ、“生涯現役マネージャー”を信条とした男

・相澤秀禎が芸能界に残した数々の伝説をぜひご覧いただきたい!




『独占!昭和芸能界の真実 アイドル発掘王・相澤秀禎~泣いて

笑った人生最後の10日間~』タイトル&見出しだけでも面白そうな

内容ですね。




でも、やはり一番気になるのが、『岡田有希子さんの死の真相』ですね。

相澤さんがあの世まで、持っていった秘密・・・

たとえお酒が入り仲の良かった記者でもこれだけは、絶対に口を

開かなかったと言われる岡田有希子のお相手。


その真実は、永久に分からないままなのでしょうか?


詳しくは、放送を待ちましょう。




さて、そんな故 相澤会長のプロフィール・歴史を振り返ってみましょう。

本名:相澤芳郎

【幼少~学生時代】

横須賀市内の金物商相澤定吉の四男として出生、地元の小・中学校を

卒業します。


15歳の時に終戦を迎えたそうです。

土地柄、米軍やアメリカ人と接触も多く、その欧米人の明るい性格に感動

し、初めてカントリーウエスタン音楽を聴き、 姉にせびってギターを買ってもら

ことがバンド活動のきっかけになったようです。



そして大学在学中(法政大学専門部政治経済学科)に演奏バンド「ウエス

タン・キャラバン」を結成して 各地の米軍キャンプで演奏活動をするように

なります。


大学生であり、バンド活動もしていた19歳の時に結婚し、翌年に長男・正久

(現サンミュージックグループ社長)が誕生と若くして家族を持たれます。



【音楽の道 バンド~マネージャー業へ】

その後大学を卒業し、プロのミュージシャンとして活動することを決意。

横須賀だけでなく米軍基地のある各所に遠征。


28歳で「ウエスタン・キャラバン」から山下敬二郎をデビューさせてプレーヤー

兼マネージャーとして活躍する。



その後、佐々木功・佐川満男・ 黛ジュン等でマネージャーに専念する。

32歳の時に「竜美プロ」を設立して新人歌手松島アキラをデビューさせる。

その後、西郷輝彦を発掘してマネージメントに奮闘、その後森田健作を

第1号タレントとし、現在の株式会社サンミュージックプロダクションを設立

されたそうです。

しかも当時、森田健作は映画で鮮烈なデビューを飾り、学園青春ドラマ

「俺は男だ!」に主演、主題歌も歌って、俳優・歌手として大ブレイク。



その後女性タレントのマネージメントをするようになってから、 タレントと

して学んでゆくためには、人づくりの土台となる家族関係が大事である

という考えから、 親御さんを安心させるため、新人タレントを相澤の自宅

に下宿させ、食事を共にするというスタンスで数々のタレントを世に送り

だします。


近年では、ベッキー・カンニング竹山・塚本高史など様々なジャンルのタレ

ント達が活躍する形となりました。



2004年12月、社長職を長男・正久氏に受け渡し、会長となりましたが、生

涯マネージャーという信条のもと活動をされていましたが、 2013年5月すい

臓がんの為、亡くなられました。




多くの人に影響を与え、とても優しい表情が印象的な相澤さん遠くの空から

数々の芸能人を今も見守っているのではないでしょうか?




















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